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クリスマスの光

毎年12月になると、近隣の13軒が協力して、30万個の電球でクリスマスイルミネーションをするところがあります。点滅する色とりどりの灯りとそれに合わせて流れる音楽を楽しもうと、遠くから車で来て何時間も行列する人たちがいます。この光と音のショーはとても精巧にできていて、64台のコンピューターを駆使して美しく調和した動きを作り出しています。

神からのメッセージ

レイ・トムリンソンは1971年、人がコンピュータを介して対話する方法をいくつか試していました。彼はネットワークを通して、自分のコンピュータから別のコンピュータにメッセージを送ったのですが、これが世界で最初のEメールです。数十年経た現在、毎日10億通以上のEメールが送信されています。

恵みのとき

イギリスのケンブリッジにあるキングスカレッジの礼拝堂で行われるクリスマス・イブ礼拝は、BBCラジオで生中継されますが、私は毎年それを聴くことを楽しみにしています。「9つの朗読とキャロルの祭典」と呼ばれるこの礼拝は、聖書朗読、祈り、そして賛美から成る非常に感動的な礼拝です。ある年、壮大な礼拝堂を出ていく会衆の姿を表現したアナウンサーの言葉にはっとさせられました。

天は宣する

夜の空を少し眺めるだけで、神の御手の業はすごいのだと十分に分かります。私たちは、神の御業に感嘆し、畏敬の念を抱きます。私たちは、広大に広がる銀河や天の川の銀の帯を見るにつけ、神がこれを創造し、治めておられること、そして、万物が御子イエスによって成り立っていること(コロ1:16-17)を思わずにはいられません。それはまるで、神の創造を見せる劇場の最前列で、その迫力を感じるような体験です。

贈り物

クリスマスはプレゼントを贈るときです。私たちの多くは、友人や家族が喜ぶ贈り物を見つけようと一生懸命探しますが、すべての人に平等な贈り物をするわけではありません。例えば、健康グッズやダイエット本のように、贈り主の暗示が込められたものがあります。また、自分が欲しいと思っているものをプレゼントする場合もあります。しかし、一番嬉しいプレゼントは、自分が何を欲しいかを知っている人が贈ってくれたものです。

喜び

アダムとエバが神にそむいたことで、喜びが失われました。神は、それ以上の悪い事が起こらないように、ふたりをエデンの園から追放されました。もし、彼らが善悪の知識の木のみならず、いのちの木の実も食べたならば、あのみじめな状態で永遠に生きながらえなくてはならないのです(創3:22)。

愛しているので

昨年のクリスマスには、スキーパンツやブレスレット、キンドル(電子書籍を読む機器)など、素敵な品物をもらいました。しかし、一番嬉しかったのは、たくさんの人に会えたことでした。遠方から甥や姪が訪ねてきてくれ、彼らの9人の子どもたちと遊びました。クリスマス・イブ礼拝には、姪夫婦と1歳半の娘と一緒に行きました。また、定年退職した元同僚の奥さんが身体を壊しているので、彼女を見舞いに行きました。

希望が必要

アダムとエバに希望は必要ありませんでした。満たされていないものは何もなかったからです。また、神がすべての良いものを与えてくださっている環境の中で、その快適な生活がずっと続くと考えるのも、至極当然でした。しかし、神はあるものを独り占めしていると蛇に吹き込まれ、それを欲しがったために、すべてのものを失う危機が訪れました。

私たちは大切?

詩篇の筆者は、神の造られた天を見ながら、「人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは」と記しています(詩8:3-4)。これは、旧約聖書に渦巻く問いかけです。モーセは、神があなたのことを心にかけておられると何度も民を説得しました。それでも、エジブトで奴隷として酷使されていたイスラエルの民は、その言葉を信じることができませんでした。「伝道者の書」の筆者は、冷めた目で問いかけます「…人に何になろう」(伝2:22)。